令和五年、加台大宮神社祭礼
神輿渡御その9
このあたりはつくばエクスプレス開通により、流山セントラルパーク駅が開設された。それに影響されて駅通勤圏内として再開発が進められている。さらに流山新橋、これに伴う新県道の影響も受ける。この工事が進んでいくと新たに新築住宅も販売される。中学生の時に集まっていた平和台四号公園から、光照寺の裏の農地は既に引っ越してきている。
そう言えば今現在あの風景を思い返してみると、寺院の土地を借りて生活していた小作人という考えも出てくる。まぁどちらにせよ、交通インフラを整えて需要と供給を計算し、順次区画造成し都市化する。この流れで平和台5丁目の一部が都市化されている。新松戸も南流山もこのような区画造成工事を繰り返して現在に至っている歴史が見て取れる。
親を見て子供は育つ、何を好み、どういった信念、信条で生きて行ってるか。子供は自分なりにそれを吸収しながら成長する。これがあって小学校、中学校の同級生といった周囲の声があって今がある。どうしても東大に入れって親なら、受からなければガッカリされる。受かれば当然の事ながら親から愛され、自慢の息子だと愛されていくんだろう。
親が親なんだから大学などよりも注目するのはこの祭礼の場をどう感じるか。元々根郷や加岸は商業の街の意味合いがあるが宿は一つの村といっても間違っていない。その村の中で共に共同生活を送る人間として認められる必要がある。そうなると「厳しく文句言える」ってのは俺を認めてくれるからで、カドキヤの行動につながってくるわけだ。
加台大宮神社氏子衆
加台大社睦会会長、山本さん
平和台及び加台地区は戦後開発されたニュータウンの例に漏れないが、都内ほど急激な住宅地化が行われず、ゆっくりと新住民を受け入れていったため、先祖代々のコミニティーが残っている。そして現在もつくばエクスプレス効果により人口が増加中である。
なので流山本町の他の自治体よりも人口構成が若い。前会長西島さん、勝木さんより受け継いだ。今回で山本家も代替わり、そのための準備をしてきている。代々の田舎町の濃厚な人間関係と、流山が代々住んでいける産業や商業が安定している街と言う事がここから見える。
毎年家の代表として神社の神事を流山に住む人間同士で行い、これを何十年と繰り返してウチの親父は生きてきた。もっともこれを特別な事とも思わない人もいれば、休みの日にわざわざそんなとこに出ていくなんてよっぽどヒマでやることないんだな。って斜めにしか見られない人も当然のように存在する。しかし、価値を理解できる人間が必要。
未来は何年も前から決まっている、組織は計画性を持って動いているからだ。実際につくばエクスプレス開業も決定してから、バブル崩壊など時期的に遅れることはあったにせよ、無事開業に至った。そうなると何年も前から工事は進められていた。俺がこの家の跡取りとして決まってから既に30年以上経っている、将来絶対に順番は回ってくる。
神社神道の生業としての神社の神職である神主や巫女によって行われるものは、日々の勤しみとしての祝詞や神楽がありこれらは祈りとしての祀りであり巫(かんなぎ)でもある、個人の祈願記念として祓いや地鎮祭などは、神社に依頼しされ神職によって行われる。
神仏習合のや他の宗教との習合や影響で、神道の神事には密教・仏教を初めとし時には儒教など、特に道教の陰陽五行思想などを由来とするものもある。
神を供応する形式の祭では、依り代を立てて神を迎える行為や送る行為、神幸に関する行為、神饌を献ずる行為や直会などを神事とすることが多く、最も重要な神事は神職や巫女、稚児などが神意を伺う行為であることが多い。
神意を伺う行為には間接的なものもあり、神前での相撲などの結果如何で吉凶を占う神事もある。このような行為の宗教的な意味合いは強く意識されていないが、同じようなものが多くあり、流鏑馬、競馬(くらべうま)などの競技や、物や動物を使ったものがある。
宮入となった
赤城四ツ葉会
俺が生まれた時からほぼメンバーも変わらず、これが今の住民の入れ替わりの激しい街が増えている中で、この時代にどれほど贅沢なことか、価値があるのかと言う事。これ以上に信頼出来る人達もいないと言う事。
一緒に酒飲んでカニ汁飲んでここまで生きてきたんだ。流山は時代が変わっても変えてはいけない事がある。家を代表して自分達の生まれ育った土地の神様を祀る、日本人としてこれ以上に相応しいこともないだろう。
この中で生まれ育ったメンバーの子供は生まれつきこのコミュニティを知っている。そして何十年間という準備期間を経て、将来の後継者となる未来が見えている。山本新代表だって、代々の住民なんだから当然のように親を見て、いつか必ず来る自分の順番を待っていた。
今の歳だから思う、30代というと子育て世代が新築物件を買う年頃、母親の公園デビューという言葉もあるが新しい土地に行って仕事だけではない地域の行事デビューというのも大きなこと。
仕事が忙しくて消防分団には入れないけど土地を知る、一年に何度かある地区の神社の祭礼には参加したい、そのような人にとっては出来るだけ情報は欲しいもの。これも流山の住宅販売促進情報なのだ。
神輿渡御なんだから神輿担いでるところ写真撮らないと、って言うけど、そんな表向きの広報活動は市役所の広報課の仕事でしょ、誰でも撮れる写真じゃなくて俺が写真撮ってるからこのブログの写真が撮れる。神社信仰とは最も日本的なもの。
今では圧倒的に少ない流山本町先住民、どんな生活をしているか、みんなが集まる神輿渡御とはどんなものなのか、今では触れていない人の方が多くなっている時代になっているためウチラにとってはごく当然の情報の方が価値が高い。
そしてこの飲みの場もビールを注いで飲んでもらう、それは神輿渡御の副産物としてとても大きなことだと思う。これは日常の仕事においては名刺交換のようなものだろう。顔を憶えて、名前を憶えてもらう、新しくコミ二ティーに参加する者としても、親ありきの跡取りとしても大事な場なのだ。
時代は徐々に変わっていく、自分が変わるにしても組織が変わるにしても、この場で得た情報などで次第に組織を自分に馴染ませる事も大事。その繰り返しこそが日本の和の精神、頑固になりすぎてもダメだし、不真面目すぎてもダメなのだ。
ウチラ四ツ葉会も根郷神輿会も感覚的には同じだろう、江戸時代から神輿を担ぐグループが超絶リア充。これはいつの時代にも変わっていない。田んぼの真ん中に鉄道駅が設置され、周辺農地が都市化された場所では土地成金が大きい扱いを受けるんだろうけど、所詮は流山本町の外の話、ただ一部の事、そのうち自分で気付いていくしかない。
祭は一部ではパレードとも称される。これは自分の所属している神輿会の半纏を着て、道中を練り歩く。これには神輿会の人々の同意が無いと認められない話で、言うなれば神輿会が認めた人間のお披露目、その最大のアピールの場がこのような祭礼と言ってもいいだろう。流山は150年以上の先輩後輩でつながっているからこそ秩序がある。
「神が造りたもうた酒」と言う言葉があるが、古来日本酒の製成は不思議な力によるものと考えられていた。そこで、神と酒のつながりを考えてみた。古代の酔いを考えると、その現象こそ神の作用そのものであり、酒を呑んで酔うことが、すなわち神に近寄る手段であるという基本的な発想があったようだ。
こういう考えから、日本酒はまず神に供え、それから人が呑む。神にまず御神酒をと言う習わしが、今でも続いている。たとえばお祭りで御神酒をいただく。もちろん酔いを求めて呑むわけだが、享楽の為の酔いではなく、より神に近づく為の手段として呑まれる。
この光景が祭礼のもう一つの姿と言えるものだろう、人が集まり適度に動くと酒がうまい。新しい住人も先祖代々の住人とも差もない、話すことなんて何でもいいんだよ、むしろこんな中で一人で真面目な話も必要ないし。日本独特ともいえる美しい姿だろう。酒は本来神聖なもの、さらに酒の歴史は見事に流山の歴史とも言えるものとなっている。
以前味醂二百年祭が終わったが、これは二百年以上前から流山が酒どころとして栄えていた事につながる。酒造りの醸造技術が味醂作りとした産業に変わって現在でも味醂工場が稼働している。工場があるということは代々のしっかりとした雇用が生まれ、市場規模も安定しているということ。だからこそウチみたいな小さな商店も生きていける。
次の祭礼は秋、十月の赤城神社
赤城神社の氏子衆である赤城四ツ葉会会長が締める
若宮団地の所でウチの親父は、以前の平屋の市営団地の話をしていた。ここで中橋さんに話を聞くと、出身の中学は南部中じゃないから知らないみたい。なんでも親の仕事の都合で常盤松みたい。この時は(中橋さんは俺の五個上だから、中学の時は平成初期、そういや同時期、十太夫からファンケルの工場が移転してるな)って思っていて。
そんで次の日、検索した昭和の産業史その8のページを貼っておく。これがドンピシャな話になってくるでしょ。平成三年、株式会社マルタカ、高橋啓治社長、流山工業団地に立地。経営者側の目線だけでなく後輩の育成、それに俺みたいなトラブルメーカーの存在、何かと大変かと思いますが、よろしくお願いします。
神事は神事でしっかりとやるし、神輿渡御もみんなで力を合わせて終わったら、最後は楽しく飲んで終わるのが日本の心ってもんでしょ。アメノウズメノミコトの舞のように楽しく神輿渡御してるところをブログで発信したら、「天の岩戸」に引きこもった天照大神じゃないけど(神輿担ぐのって面白いのかな、ちょっと覗いてみようかな)って会員も増えるかもしれない。(詳しくはアメノウズメノミコトの記事へ)
人が集まりゃ出会いが生まれる、次に集まりゃ関係が深まる。酒だけでの繋がりではないものの、当然酒の関係も必要ということだろう。交友関係が広がれば日常生活が豊かになる。みんな生きてきた時代は違うが一つの所に集まり、神輿渡御を毎年行うということはとても言葉では言い表せない効果を持っている。そして役員などの言動や雑作を見て、将来のための勉強を続けていくことが跡取りとして必要なことだと思う。
令和五年、加台大宮神社祭礼、無事終了
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