平成29年4月26日~5月7日の期間
今年で6年目、鯉のぼりまつり、坂川Eボート乗船会
平成29年5月5日(祝日)、宮園の坂川で、今年で6年目を迎えた「坂川鯉のぼりまつり」と昨年から同時開催している、地域のイベントとしてますます人気が出てきたEボート乗船会(みやぞの池と坂川を活かしたまちづくり市民の会主催、市後援)が開催されました。
乗船会のボート出発式には、井崎市長も訪れました。この水辺はもともと、すぐそばの宮園調整池の緑化による修景事業が流山市によって実施された際に、国交省も同時に行った坂川の親水化事業によって誕生、近隣の市民に親しまれる水辺に変わりました。
その後、地域のボランティア団体「市民の会」(みやぞの池と坂川を活かしたまちづくり市民の会)が、池周囲に芝桜を植え、坂川土手の除草などを行って環境の維持に努め、春・秋に水辺のイベントを開催しています。
井崎市長は挨拶で、「地域の方々の努力で、水辺の環境が維持されているのは、市としてもたいへんありがたい。高齢化の下での活動はたいへんだと思いますが、今後もがんばって続けていただきたい」と激励。
その後ライフジャケットをつけてEボートに自ら乗船、風に泳ぐ鯉のぼりの下で初めてのEボート体験を楽しみました。ボートから降りた市長は、「川の上の風は爽快そのものですね。思っていた以上に、Eボートは安全だし、快適でした」と感想を話していました。
Eボート乗船会は、流山市カヌー協会のメンバーがインストラクターとして協力して安全に実施されており、今年は子ども連れの家族など全部で113人が、水面から鯉のぼりを眺めながら宮園~鰭ケ崎間の往復を楽しみました。
また、今年の坂川を彩った鯉のぼりは、川を横切る7本のロープに約70匹、子どもたちが思い思いに着色した「塗りえ鯉のぼり」が岸辺の安全策に沿って100匹、土手上に大小の鯉のぼりが約40匹。
宮園の水辺は、「鯉のぼりまつり」の開催期間中(4月26日~5月7日)の好天もあって、子どもの手をひいたり抱いたりした家族連れなどで、たいへんにぎわいました。
坂川
水源、千葉県流山市野々下二丁目
坂川は、千葉県を流れる江戸川水系の河川。北千葉導水路の一部としても使われている。流山市と松戸市、市川市の三市を流れ、江戸川にそそぐ。下流には、柳原水門がある。昔は、よく洪水が起きていた。途中では、六間川などと合流している。
流山市野々下二丁目付近に水源を発し、南に流れる。上流では、数多くの水路から水を集める。(柏市や流山市の北部からも集めるため、流域面積は広い。)富士見橋付近で西に流路をかえ、支流の富士川と合流する。富士川との合流点から、松戸市横須賀付近まで、この川が流山・松戸の市境となっている。
松戸市横須賀付近で、坂川と新坂川に分かれる。その後、松戸市小金付近でまた分流し、多くの水は坂川放水路を介して江戸川にそそぐ。本流坂川は放水路と分離したのち南に流れる。そして、多くの支流と合流し、また分離する。
その後何本かの放水路で再び水を江戸川に流したのち、さらに松戸市を南下する。そして、市川市国府台三丁目で、本流が江戸川にそそぐ。全長は16km。
坂川は、昔逆川(さかがわ)といい、沿岸は沼が点在する、葦のおい茂る低湿地であった。坂川では、1692年(元禄5年)の新田開発により、沿岸(現在の新松戸、旭町、栄町等)に新田ができた。逆川はそれらの新田に度々洪水を起こし、3年に1度収穫があればよい程度の不作ぶりであった。
新田で堰を高くすると上流が洪水になってしまい、そのための争いも起こった。1781年、上郷名主の渡辺庄左衛門充房が国府台下までの掘削を初めて幕府に請願し、1801年に幕府が視察に訪れた。しかし、下郷7ヶ村(古ヶ崎・根本・小山・上矢切・中矢切・下矢切・栗山)が反対し、結局その請願は保留となった。
1812年に渡辺庄左衛門充房が死亡し、翌年、渡辺庄左衛門(寅)のときに一本橋から松戸宿までの掘削が開始された。しかし洪水予防の効果がなく、さらに国府台下までの掘削の請願までも繰り返したため、下郷7ヶ村との対立は続いた。
1833年、渡辺庄左衛門(睦)が国府台下までの掘削の測量を開始したが、これに反対する下郷7ヶ村の村民が反対のため浅間山(松戸市)に立てこもり争いとなる。それが飛び火し、古ヶ崎村から測量に来た百姓に死者まででる事態となった。
見かねた奉行所の調停により、1835年から国府台下までの掘削が開始された。これにより洪水被害はやや収まった。1910年、樋野口に蒸気機関の排水機場が造られた。また、1932年(昭和7年)より新坂川の掘削が開始され、坂川を排水、新坂川を用水として機能するようになり、現在に至る。
以前は水質が汚かったが、現在はBODが5~7程度ときれいになりつつある。そのため、確認される魚も増えていて、メダカやアユなども確認された。現在は40種類ほどの魚が生息している。坂川では、毎年ゴールデンウィークのとき、坂川の清流化を願い、「坂川に清流を取り戻す会」が中心となって、350匹の鯉のぼりを上げる。
子どもに「坂川」解説冊子
流山拠点の市民団体が発行
流山、松戸、柏の三市の街中が流域の坂川に、子どもたちに興味を持ってもらいたいと、流山市を拠点にする市民団体が解説冊子「坂川と人々のくらし」を発行した。坂川の誕生や、水害・水質汚染との闘いなどを、写真やイラストを多く使い解説。コイとカモのキャラクターも登場し、子どもが楽しく読めるように仕上がっている。
冊子を作ったのは、市民団体「みやぞの池と坂川を活(い)かしたまちづくり市民の会」。坂川流域の流山市宮園、鰭ケ崎(ひれがさき)や、松戸市幸田(こうで)などの住民らが会員。三市に広がる下総台地を水源にする坂川は全長十六キロの一級河川で、江戸川に注ぎ込む。
同会は七年前、坂川と近接する「みやぞの野鳥の池」を地域の活性化に役立てようと発足。四、五月の連休に坂川の上でこいのぼりを泳がせる「坂川鯉(こい)のぼりまつり」などのイベントや、周辺の清掃、河川関係の見学会、ホタルの復活に取り組んでいる。冊子はカラーのA4判で、七章からなる十八ページ。
第三章では、大雨のたびに水が逆流することから「逆川(さかがわ)」と表記されていたのが、江戸時代に鰭ケ崎の名主らの尽力で、「水が坂を下るように」流れる川に改修され、「坂川」という今の表記に改められた逸話を取り上げている。第七章では、きれいになった坂川の水辺が憩いの場になっていることや、同会の活動を紹介。
同会は流域の小学校に坂川を学ぶ副読本にと寄贈。冊子の執筆・編集を担当した久谷与四郎さん(79)は「寄贈した学校の校長先生たちには『子どもたちは絶対に喜ぶ』と非常に好評だった」と手応えを感じている。五百部を発行。希望者には宮園自治会館=電04(7159)1935=で平日に無償提供する。
逆川(さかがわ、さかさがわ、さかさまがわ、など多数)とは、潮位の上昇や合流先河川の増水などによって、水が逆流することがある河川。地形などの影響で周辺の他の河川とは逆の向きに流れている河川。潮流の変化により流れが変わる運河、につけられる名称である。
幸田の地名の由来
郵便番号〒270-0001
東葛地名事典に文が残っているので電化する。幸田は北小金駅の北、下総台地の西端に位置する。台地上の幸田は北と東が坂川の低地に、西はふじ川に面している。坂川の低地には小金北中学校が建っている。坂川を挟んで北に流山市芝崎がある。範囲は現在の松戸市幸田、幸田一丁目~五丁目。
小金北小学校PTAがまとめた「こがねのむかし」に地名の話がある。「昔、四ヶ所の田んぼがあった。日照りが続けば干ばつに、雨が降れば洪水にと、なすすべが無かった。しかし、田んぼはどこか一ヶ所が凶作でも、他の田んぼは豊作であったので、人々は飢饉になる事はなかった。」そこで「幸田」と呼ぶようになった。(要約)
地名は低湿地の水田開発とともに呼ばれるようになったのだろう。松下邦夫さんは、開発は小金城主高城氏が勢力を持っていた戦国時代と予想する。だが、低地は江戸川からの逆流や坂川本流のふじ川、また流山方面からも、毎年のように洪水に襲われた。そのたびに「田んぼは荒れ」不作になった。
いつしか、村人は「こがねのむかし」と反対に、絶望的に「荒田」と我が村を呼んだのだろう。荒田の地名はあまりにも悲惨だ。江戸時代になると、絶望から希望の持てる地名が考えられた。荒→幸、読みは同じ「こう」で、意味は「荒れたところ」から「幸いなところ」と、悲惨から幸福・幸せの好字に変えたのであった。
ここでは田を「で」と発音する。田は、田地、田園、水田と同様に「でん」と読む。正確には荒田→こうでん、と読む。しかし、生活多忙な農民たちは他の使用言葉との関連で、「で」と縮め発音したのではないか。
※文を追加しておく、この地区は流山側からも良く見ているが、斜面にビッチリと分譲住宅が建っている。あそこなら北小金徒歩20分と言った所だろうか。戦後の第一世代は、職場に限りがある地方の人々や、農家の次男・三男は、当然のことのように都内へ出てサラリーマンとして生きていくことになる。
賃金が払われ、家庭を築き、団地や賃貸アパートのような所に住むという選択もあれば、家族が増えていく中でマンションやマイホーム購入へと考える層もいる。バス路線のことはよくわからないので、実際問題把握できていないが、雨の日も風の日も駅を使って都内へ通ったことだろう、戦後の大規模開発の一つの姿が見える。
また坂川を挟んで、流山側にはほぼ手付かずであった緑の大地が見える。この斜面の対比も今現在区画整理事業が行われて、つくばエクスプレス沿いの大規模開発、これからはいつまで緑が見られるか想像も出来ないが、途中だからこそ感じられた一つの目線だった、歴史とは違いがあって気付くもの。今だから、途中だから気付いた事だろう。
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