阿炎、しこ名は師匠のニックネーム
堀切洸助が十両へ
大相撲初場所で西幕下2枚目の地位で5勝2敗の成績を収め、1月28日の春場所(3月8日初日、大阪・ボディメーカーコロシアム)番付編成会議で新十両昇進が決まった堀切改め阿炎(あび、20=錣山、埼玉県越谷市出身)が同日、東京・両国国技館で、師匠の錣山親方(51=元関脇寺尾)とともに、記者会見に臨んだ。
千葉・流山南高時代は、高校総体でベスト16入り。卒業後の13年夏場所に初土俵を踏んだ。2年足らずでつかんだ関取の座に、会見中は何度も「もう、うれしいだけで…」の言葉を発した。錣山親方は「稽古場ではビックリするほど本当に弱い。三段目のトーナメントをやっても優勝できないし、初場所も全敗すると思った」と指摘する一方で「相撲度胸と相撲勘は持って生まれたもの。
稽古場以上の動きを、本場所の土俵でできてしまう」と天性の相撲っぷりを称賛した。改名した、しこ名は師匠の生まれた時からのニックネーム。「『アッ、ベイビーだ』から付きました。阿修羅(あしゅら)のように燃えて戦え、の思いを込めて」と未完の大器に期待した。
新十両に阿炎、天風、石浦
日本相撲協会は1月28日、東京・両国国技館で春場所(3月8日初日、大阪・ボディメーカーコロシアム)の番付編成会議を開き、新十両に堀切改め阿炎(あび=20、錣山、埼玉県出身)、川成改め天風(あまかぜ=23、尾車、香川県出身)、石浦(25=宮城野、鳥取県出身)の3人が昇進した。日大出身の石浦は鳥取県出身力士としては元横綱琴桜以来53年ぶりの関取。再十両は琴恵光(23=佐渡ケ嶽、宮崎県出身)と希善龍(29=木瀬、香川県出身)の2人。年寄「立田川」を襲名した元小結豊真将(33)ら19人の引退も発表された。
小学3年生の頃から相撲を始め、草加相撲練修会で力を付けた。越谷市立大相模中学校に在学していた中学生時代には、第39回全国中学校相撲選手権大会において、個人戦で3位に入賞した。その後、地元を離れ相撲部の強豪、千葉県立流山南高等学校に進学し、相撲部に入部。
同校出身の同級生には大翔鵬(追手風部屋所属)がいる。高校総体ではベスト16に輝いたこともある。高校3年生のとき、第61回選抜高校相撲十和田大会において、個人戦で3位に入賞。ちなみに準決勝で敗れた相手は、イチンノロブ(のち逸ノ城)である。
卒業後、相撲部の監督が錣山と親しいことから錣山部屋に入門。埼玉県越谷市出身で、錣山部屋所属の大相撲力士。身長185.5cm、体重123.5kg。2013年5月場所に初土俵を踏み、前相撲で一番出世。序ノ口で迎えた7月場所では蘇に敗れただけで6勝1敗。
序二段で迎えた9月場所では7戦全勝で優勝を成し遂げた。三段目で迎えた11月場所では4勝3敗に終わったものの、翌1月場所では再び7戦全勝で優勝を成し遂げ、初土俵から所要5場所で一気に幕下上位となる西幕下13枚目へと駆け上がった。三段目優勝1回、序二段優勝1回。
その後も殆どの場所で幕下上位を維持し、2014年11月場所には東幕下11枚目の地位で6勝1敗の好成績を上げ、翌2015年1月場所には関取目前となる西幕下2枚目の地位で5勝2敗。場所後の番付編成会議で、3月場所での新十両昇進が決定された。十両昇進と同時に、それまで本名のままだった四股名を「阿炎」に改める。
錣山部屋
錣山部屋(しころやまべや)は、時津風一門に所属する日本相撲協会の相撲部屋。2002年9月場所限りで現役を引退して、以降は井筒部屋の部屋付き親方となっていた年寄・20代錣山(元関脇・寺尾)が、2004年1月27日付で2人の内弟子を連れて井筒部屋から分家独立して錣山部屋を創設した。
2006年12月に東京都江東区に部屋を構えた。現役時代に人気力士だった親方の部屋ということで、部屋創設1年で所属力士が10人を越え、現在では20人以上が所属する大規模な部屋となっている。2006年1月場所において豊真将が新十両へ昇進し、部屋史上初となる関取が誕生した。2013年7月場所には青狼が新十両へ昇進した。
流山出身ではないものの高校は流山南高校、さらに所属している錣山部屋の親方は元関脇・寺尾ということで、流山の郷土力士である吉登と同期なんですね。吉登は江戸時代から続く千葉県最古の布団屋の末裔のはまあげさん、親戚の布団屋の新品の布団を持って相撲部屋に入門した。となれば、意外と知らない相撲の世界の記事に書いた大翔鵬と同様に流山ゆかりの力士と言ってもいいのかもしれない、今後に期待したい。
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