平成26年、加台大宮神社祭礼
神輿渡御その3
日本人の行動の特徴として、「強い集団主義、弱い個人主義」ということがあげられる 。なぜ日本人は集団主義といわれるのか、日本人の集団主義の特徴とはどのようなものなのかということから、一番身近な集団である、「家族」をみていく。特に日本人の集団主義的考えの象徴として、イエ制度をとりあげ、他国の家族関係と比較し、集団主義の国民性を考えていきたいと思う。
日本では、和の精神が非常に大事にされている。言葉をみても、大和国、和風、和服など日本的なことを表すときに「和」が多く使われている。和の精神は、他の人もいるということを前提とするだけでなく、他の人と仲良くすべきという義務意識も伴うものである。だから、この和を保つために、犠牲を払ったり、協力したり、妥協したりすることは当然のこととなり、ある種の合理性が生まれる。
この考えが、日本人の「強い集団主義」と深い関係があるとされている。和の精神を保つためには、当然自分を犠牲にすることが必要となり、自分を犠牲にすればするほど所属団体やグループへのつながりは強まるわけである。この関係が生まれた要因として、島国であるからということや、地震や台風といった災害が多いために他の国よりも団結心が必要だったなど様々なことが考えられているが、はっきりとはわかっていない。
和の精神のなかには、日本のイエ制度というものも大きくかかわっていると思う。昔のイエ制度では、家の中でさえ上下関係があるなど、自分を犠牲にしてでも家族内の和を大切にしようという考えがあった。一番身近なところであっても和の精神の考えを守り、家族という集団を大切にして生きてきたのだから、集団行動というものも自然と身についてきたのだと思う。
イエ制度というものは、戦後の法改正で廃止になった。そのことによって、「かかあ天下」「嫁の尻にしかれる」「鬼嫁」といった言葉がでてきたことからもわかるように、戦前の家族では考えられなかったような妻の権力が強い家族がうまれるなど、自由な家族関係を築くことができるようになった。
しかし、今でも戸籍というものは残っていて、家が単位として記載されているし、出生や結婚といった個人の問題と思われることも家族の問題として考えられることが多く、今でも家族が1つの集団として意識されていることがわかる。
今日は仮面は忘れたみたい
また、テレビなどで財産相続のトラブルについて取り上げられることがあるのも、「イエ」「家族」といった集団意識が残っているからだと思う。部落差別といった問題を中学や高校で学習したが、そのようなことを授業で行うのも「イエ」というものに対して日本人の差別意識が残っているからであろう。
これらのことから、いくら現代の日本の家族形態が戦前に比べ、自由になったとはいえ、戸籍や、「イエ」に対する特別な感情がなくなってはいないし、今後もすぐになくなることはないと思う。これらが残っている限り、家族は日本人にとって一番身近な集団であり、「日本人は集団主義である。」と言われ続けることになるだろう。
神輿渡御も再開、消防分団第七分団前
この道が区画整理前は江戸時代の物流で賑わった旧道諏訪道の現在の姿、加村河岸から布施までの陸路であった。この後海老原商店裏手から、地蔵坂の先にある長太郎団地へ続いていた。やがて右手県道道筋に流山運動公園の体育館とグラウンドが見えてくる、この周辺は旧道を市野谷、野々下、後平井の地名の境目になっていたのに直線の新県道が通ってしまい複雑になってしまっているんだとか。
話によれば体育館の前あたりに昔「水かいの宿」というのがあって、一駄(馬に荷を付ける単位で、米だと振り分けて二俵)につき二文の世話料をとっていたという。二文払うとウナギの入ったザルを清水に浸してくれ、ヨタヨタになったウナギがまた息を吹き返す、布施と流山を往来する駄付けの人たちはここで一休みしながらウナギを水に浸したんだろう。
布施の旧家に残る古文書に宝暦七年(1757)三ヶ月に二十隻の舟がウナギを陸揚げし、これを加村河岸まで十四キロ運んだという。馬に乗せて三時間運んだという。その後に寛政年間(1789~1800)には布施で一年に八百余隻からウナギが陸揚げされたというから大した量だ。
おそらく利根川や鬼怒川はては霞ヶ浦や北浦など、大小何十もの小沼から集荷された膨大な量のウナギが布施から流山へと運ばれ、さらに手賀沼でとれたウナギも柏の呼塚河岸に陸揚げされ、馬に積まれて流山に運ばれてきた。もちろんウナギだけでなくドジョウやコイやフナなども一緒に。ここから柏に行くにも南柏にも、この先はガタゴトの旧道で、通称七曲がり、いや実際は七曲りどころかその倍の十四曲がりもあったというくねくね道になっていたという。
花棒を担ぐのは玉ノ井大工の兄貴
秋元三左衛門の天晴味醂、その工場跡の東邦酒造、東邦酒造の御用大工である島根大工に弟子入りして、独り立ちした先代の玉ノ井大工。先代の玉ノ井大工は子供が大きくなると師匠の元へ弟子入りさせた。玉ノ井大工の兄貴は島根大工の一番末っ子の弟子だったという。その後、弟さんは島根大工からじゃなく、兄貴から教わったという。玉ノ井大工は息子たち兄弟二人で大工をやっていたが、大工の仕事も大きな建設業者が家を建てるようになったからなのか、二人共定年退職している歳になっているので去年廃業してしまった。
四ツ葉会の玉ノ井さん
ここから旧道諏訪道とは外れ
加村の台地の住宅地へ
平成一桁の時代に育ってきた俺は加台が山だった記憶もないどころか、今の造成された道路しか知らない。その記憶の中の20年間だけでも空き地はなくなり新築の家が増えている。立て替えている家もあるのは加台の造成期に早い段階で移り住んだ人だとしたら色々な想像もしやすい。ローンが終わり、娘世帯と同居。もしくはつくばエクスプレスが開通して土地の値段が上がり、新築住宅として立て替えて再販売されてもおかしくない。
このあたりは足場が整備されている
高めなところでじっくり待てる
上の写真では気付いてなかったが
四ツ葉会のみんなが気付いてくれた
公園のところで休憩
当番の奥様方、ありがとうございました
ここの隣の家が同級生だが、兄と妹がいる。これが見事に加台の佐々木さん夫妻と同じ年だった。佐々木さんが松坂世代とは書いたが地元の人には小野真弓世代と書いたほうが分かり易いかと思う。
今の70歳以上の年齢の方は流山の嫁をめとって流山に住んだりするとヨソ者扱いされたみたいだけど、今の時代には、年齢的にモノサシとして丁度いい人間は受け入れる姿勢も重要だろう。後は四ツ葉会の人達も紹介すると価値があるのかね、でもまぁ新住民でも話のネタができるのは活性化として大きいこと。
「まつり」という言葉は「祀る」の名詞形で、本来は神を祀ること、またはその儀式を指すものである。この意味では、個人がそういった儀式に参加することも「まつり」であり、現在でも地鎮祭 、祈願祭などの祭がそれにあたる。
日本は古代において、祭祀を司る者と政治を司る者が一致した祭政一致の体制であったため、政治のことを政(まつりごと)とも呼ぶ。また、祭祀の際には、神霊に対して供物や行為等、様々なものが奉げられ、儀式が行われる。その規模が大きく、地域を挙げて行われているような行事の全体を指して「祭」と呼ぶこともある。
しかし宗教への関心の薄れなどから、祭祀に伴う賑やかな行事の方のみについて「祭」と認識される場合もあり、元から祭祀と関係なく行われる賑やかな催事、イベントについて「祭」と称されることもある。「祭」は、語としては日本古来の祭を指す歴史が長いが、世界各地で行われる同様の行事にも訳語として用いられる。日本の祭について英語で紹介する場合「フェスティバル」が訳語として用いられる。
日本古来の祭
古代の神道はもともとアニミズム ・シャーマニズム 的要素を持っており、世界宗教以前の民族宗教に分類される。今日伝わっている祭も土着のものを起源とするという意味では民間信仰も交え、神道系に分類されるものが多いが、仏教伝来から長く経った為、神仏習合の影響を受けているものもある。
祭は民俗学で「ハレとケ」の非日常性の空間を象徴するものである。日本神話に出てくる天岩戸 の話を摸した儀式などが日本で最も古いものとして知られている。初期の「まつり」は、人目に触れない所で密かに行われるものであった。今日でも、中心となる儀式を限られた者のみで行う祭が一部にある。(伊勢神宮などの神主の奉仕、一般は奉賛、または奉納。)
花棒を担ぐのは小金屋さん
元気ハツラツ、オロナミンC
製造は大塚化学だが、大塚化学はオロナミンCの統括会社であり、実際の製品は大塚食品徳島工場・釧路工場、大塚製薬工場鳴門工場で製造されている。1965年2月に販売が開始された。ガラス製の瓶入りで当時は王冠型のキャップが使用され、内容量は120ミリリットルであった。発売当初に、炭酸を含んでいるという理由により、当時の厚生省に医薬品としては認められないと判断された。法律の定めにより、本商品は健康の保持や増進に関わる効能や効果を表示したり、広告することはできない。
初代テレビCM出演者は大村崑。「うれしいとめがねが落ちるんですよ!」というセリフが使われた。1970年の日本万国博覧会開催時には、上空で気球に乗った大村が「オロナミンCを飲んで万国博へ行こう!」と言うCMがあり、万博会場にある180店の全売店の内105店で販売した。大村は発売当初から約10年間CMに出演した。昭和40年代にはテレビCMのほか、大塚グループの他の製品と同様、ホーロー看板を各地に設置する広告手法も併用された。
玉ノ井大工の弟さん
『オロナミンC』と生卵と牛乳を混ぜると
激ウマすぎて絶句
「オロナミンCと生卵と牛乳を混ぜて飲む」。実はこれ、記者(私)のおばあちゃんが言っていたことなのです。オロナミンCも生卵も大好きな私ですが、さすがにそれはないだろうと、記憶を封印していました。母親にそのことを話すと「昔オロナミンCのCMでやってたのよ」とのこと!なんと!発売元の大塚化学が公式にテレビコマーシャルまで放送して「オロナミンCと生卵と牛乳を混ぜて飲む摂取方法」を推奨していたというのです!その名もオロナミンセーキ!しかもかなり激ウマらしい!ホントーですか!?
調べてみるとそのテレビコマーシャルは実際に存在していました!どうやら、オロナミンCと黄身と牛乳と混ぜるらしいです。その名もオロナミンセーキ!でも、本当に美味しいのかしら……?さっそくオロナミンCと黄身を用意して試してみました!黄身をつぶすと、全体があっというまに卵色になります。見た目、オロナミンCが入ってるとは思えません。ニオイはオロナミンCと卵のニオイ(そのままです)。あんまり嗅ぐのはおすすめしません。
さて覚悟を決め、飲んでみると……。悪くない!悪くないです!むしろ美味しいです!卵の味が強いかと思いきや、そんなこともなく、オロナミンCの味がきちんとします。ちょっとマイルドになった感じです!卵を混ぜたことで炭酸が弱まって飲みやすくしているんですね。黄身がオロナミンCを包んでいるような、そんな優しい感じ。飲んでいると心が落ち着きます(気のせい?)。炭酸が苦手な人もオロナミンCを楽しめる一品です。意外と飲みやすかったので、これはアリですね!気が向いたらまた試してみようかなと思いました。
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